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アート ■名古屋のギャラリー
◆ ご意見・ご感想 |
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イタリア美術 1945-1995
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展覧会を見てまず思うことは、その表現手法の豊かさである。個々の作家が独自の表現を、独自の手法によって成り立たせている。artの世界ではごく当たり前のことなのだろうが、最近の作品に、手法としてのの新規性を感じないことが多かっただけに、逆に新鮮な感じがした。そんなことから、ひょっとすると、今回の展示会のような「現代美術」の形成期(?)に手法は出尽くしてしまっているのではないか、、、と考えたりもした、今という時代は、手法はさておき(つまり、過去の手法を引用するにしても)、表現内容(作家の思い)を重視している作品が多いのかもしれない。
ただ、「art」がもともと、「technology
」という意味を持っていたり(ギリシア時代に、現在の「art」に相当する言葉は「technology
」であったらしい)、ルネッサンス時代の「art」としての特徴が、当時の新しい表現手法である「遠近法」に因るところが大であったりすることからも、見る側としては、新しい作品には、新しい手法を期待したりもする。
フォンタナがキャンバスに穴を開けたり、切り裂いたりする行為は、非日常的存在であるべきはずのキャンバスが、マンネリ化し、日常的存在になりかけていることに対して、再び非日常性を持ち込む行為として、とても象徴的である様に感じられる。一方ブッリは、日常的存在になりかけていたキャンバスに、本質的に日常的存在である布や鉄板を持ち込み逆に非日常性を成り立たせてしまった気がする。
また、アンセルモのように置かれた石に上り、差し伸べられた手と対峙しなければならなかったり、自らの体の一部にスライドの文字を写し出さなければならなかったり等、見る側の参加を要求とする作品群や、バニョーリのように影と実像を見比べなければならない等、見る側の受け止め方にゆだねられる作品もある(もともとartとはこういうものなのでしょうが、、、、)。
そういう意味で、artがインタラクティブ(相互に作用する)な存在なのだということを再認識させられる展覧会でした。
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[大塚裕昌, studio icals]
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