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人間と環境
〜なぜ私は突っ走るのか?〜
朝山克浩
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| 目次
1. 生い立ち
2. 家族構成
3. 家族紹介
4. 時代別移動への経過と環境
5. なぜ私が必要以上に移動するのか
6. 環境グラフ
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| 1,生い立ち
昭和52年6月30日
愛知県にて誕生。愛知県武豊町でスクスク育つ。
昭和56年
武豊町北保育園に入園。
昭和59年
なにげなく卒園。
昭和59年
武豊町立武豊小学校入学。
平成元年
児童会副会長をこなし卒業。
平成元年
武豊町立武豊中学校入学。
平成5年
体操部所属。マネージャー兼補欠で全国2位の好成績で卒業。
平成5年
名古屋石田学園星城高等学校入学。
平成8年
帰宅部エースで卒業。
平成8年
長野に渡り、一人暮らし。信州短期大学入学。
平成10年
学園祭の裏番、高単位取得で卒業。愛知に帰郷。
平成10年
東京デザイナー学院名古屋校入学。
平成11年
・・・現在に至る。
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| 2,家族構成
祖父・・・四郎 88歳
祖母・・・みつ 80歳
父 ・・・正巳 54歳 大学教授
母 ・・・克子 53歳 小学校教員
長男・・・正浩 27歳 印刷会社営業
次男・・・克浩(本人)21歳 専門学生
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| 3,家族紹介
ここでは、家族一人一人が自分に与えた環境と影響、その他諸々を紹介しようと思う。
祖父
今年88歳を迎える祖父は、明治生まれである。私が生まれた年に会社を退社し、現存は、昼間家を奪っている。私が保育園の時、お向かいにきてくれていた。父や母が帰ってくるまで、祖母と一緒に世話をしてくれた。家族の洗濯物を洗ってくれるのが祖父の仕事
である。畑仕事にも精を出し、この前私にCD−ROMについて聞いてきたという勉強家。信仰深いのか、よく仏壊の前でお経を唱えているのをよく目にする。
祖母
祖父と同じく、幼少の頃の私の面倒や躾をしてくれたような人で、母のピンチヒッター的な存在。平日の家事、家計の一部を一手に引き受ける頼もしい存在。もはや私にとってのお袋の味はこの人の味なのである。現在はやっていないのだが、昔は我が家で着物を縫う仕事をやっていた。畑仕事や、園芸なども好きらしい。毎年夏には立派なスイカなどを作っている(結構うまい)。気を使いすぎるのがタマニキズ・‥。
父
一家の大黒柱である私の父である。大学教授で、世間様では大先生で通っているらしい。そのせいか、超偉そう。性格は、非常に真面目で堅っ苦しい・・・。若干のユーモアは持ち合わせてはいるのだが、冗談が通じないことが多い。そのくせ、どこか抜けているというチョット困った人である。昔はテニスを趣味としていたが、現在はもっぱらゴルフで、毎週日曜は練習しに行くため、父に遊んでもらった記憶が少ない。でも悪い人ではない・・・はず。
母
主婦というより、キャリアウーマンといった感じの母は、小学校の教員をしている。平日の家事は、祖母に任しているので、たまに料理を作ると変な料理を作る癖がある。稼いだ金を家計としていくらか祖母に渡しているようである。性格は明るく、オペラ的な振る舞いをすることもある。仕事柄、工作的なことを得意としている。私はおそらく性格だけは母から受け錐いだようである。
兄
6歳も離れた兄弟なので、小さい頃の情報源はもっぱら、兄貴からの情報であったと思う。土日はお兄貴について回っていた気もする・・・(今でもいろんな所に連れていってくれる)。そのせいか私は同年代の友達より、古い情報を知っていたりする。TVやマンガ、プラモデル、ビリヤード、車なんかは兄貴から教えてもらった。とてもよい兄貴ではあるが、背が私よりも低く、いつもどこか抜けているのでたまに私になめられる。長男の辛いところをまざまざと見せつけてくれる。なぜか私の友達にウケがよい。
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| 4,時代別移動への経過と環境
幼児時代
保育園卒業までの期間に、今の私の基礎となる大半部分ができていたのではないかといま思う。母が家にいるときは主に紙を使った工作を母が仕事をする傍ら教わって、保育園から帰って友達と外で遊ぶものの、時間が来たらTVにかぶりつき、マンガなんかを見て、SFアニメ(当時はガンダム全盛期)などを見てお菓子のおまけのプラモなんかに兄貴とはまっていた。そのおまけのようなものをいろいろ集めては友達と遊んだものである。
小学校時代
小学校に上がり、幼児期に吸収したものが、だんだん成長してゆく。小学校になり知恵や、技術など発達し、友達の数も増え、多方面で趣味が広がり始める。まず、母親譲りの明るい性格が、さらに開花し、いろんな友達と遊び回った記憶がある。そのせいか趣味が増えていき、「キンけし」なるものを収集。その他いろんなゴム製のおもちややプラモ、ミニ4駆、ファミコンを収集してゆく。そのおもちやには当然着色、改造などの手が加わる。その際みんなで自転車という移動手段で遠くの店まで買いに行くのである。
中学時代
中学にはいり、収集癖は、落ち着いたものの、色気付いて服、靴、CDなどを求めに隣町などに竜車という移動手段を多用し始める。さらに兄貴が大学で一人暮らしを始めることにより相部屋の部屋が一人部屋となる(追い出したに近い)。インテリアにはまる。ちなみに「ぼけとつつこみ」は当時から人気だった、ダウンタウンの影響で修得した。
高校時代
名古屋方面の学校に通い出すことにより、さらに移動手段が地下鉄など増えてゆくことになる。高校時代は男子校だったので、女の子と合コンと称し、飲み屋などで掻ぐことしばしば・・・(いまとなっては時効だよね)。「騒ぐ」という得意分野では、このころから地元の祭に参加することでその才能を発揮。さらに兄貴が車を持つようになり、車に対する欲求や、移動できるという楽しさを再発見。高3の終わりに運転免許を取得。車も一人暮らしの引っ越し用も兼ねて手に入った。
短大時代
移動範囲は長野まで一気に広がることになる。さらに、カーピットでのバイトによりカスタム癖が再発。気の合う仲間や時には彼女を乗せ、ドライブや旅行、キャンプも数知れず・・・。さらにいま学校で学ぼうとしているきっかけにもなった一人暮らしでの部屋いじりの楽しさを味わいつつ、学園祭活動などでまんべんなくスクールライフを楽しんで卒業。
専門時代
兄貴が車を買い換える都合上車を乗り換える。1年夏休みには専門の友達9人で車で屋久島まで旅行。ここまで来ると、行きたいところまでいける車という移動手段にはスタンディング・オベーションしたくなる。さらに合宿、キャンプと車を多用。
・・・時は流れて事故により我が愛車は大破。のち廃車。現在、MTBにて移動開始。
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| 5,なぜ私が必要以上に移動するのか?
人が移動するには何か目的がある。目的を果たすために移動、行動する。それは生きるために食事をしに行動するとか、気分転換の為だったり移動の理由は様々である。
私が何かの移動手段で移動する理由の多くは趣味のためが多かったと思う。しかし、一人で行動する楽しみもあったが、やはり大人数でわいわいと行動するのもやはり楽しい。何かの移動手段を使うということは、徒歩では辛い距離ということである。つまり距離があるということ。言い換えれば遠出するということである。
なぜ遠出が楽しいのか?それは今までにない何かを見ることができるからであろう。
なぜ私は遠出が好きなのか?
考えてみれば、私の両親は常に仕事仕事でいそがしく、日曜は寝るか、自分の趣味に時間を投資して我々兄弟はあまり両親に遠くへ連れていってもらったことがない。おかげで車という移動手段を手に入れたときに遠出の楽しさを人より遅く知り、いまになって猿のように移動し続けているのではないだろうか。おかげで用事もないのに車を小1時間ぐらい走らせてしまうという行動をとるようになり、いつしかそれが、気分転換という形に変わってしまったのだと私は考える。
つまり、私の家の家族環境が私をこのような移動症にしてしまったのである。
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