〜私に影響を与えた大口町での暮らしから〜
藤嶋京子
1. 私と大口町
2. 近くの風景
3. 田園都市について
参考文献
a)大口町に住んで 今から4年前西春日井郡師勝町から丹羽郡大口町に引っ越してきました。初めての印象は何と畑や田んぼの多いところだろう、というものでした。しかし、新しい家が多く10年後には住宅で埋め尽くされるのではないかとも感じました。 4年たった今、この町での生活にも慣れ、大口町に愛着を感じます。自分の家の環境は落ち着けるひっそりしたところにあると思います。国道から、線路からちょうどよく距離があるので雑音もなくしずかに感じます。趣味のピアノも迷惑を気にせずにひくことができるのはとても気が楽です。前の家の人に畑を借りて、家庭菜園を父と母が管理しています。新鮮な野菜を口にすることができるのも感謝しています。図書館に向かう途中で通る田んぼの風景はとても好きです。この風景はいつまでたっても変わらずにあってほしいです。 b)大口町の四季、気候 春:五条川の桜がきれい。ゆっくりと流れる時間のなかで、お花見を 住民のほとんどの人が楽しんでいる。 夏:田んぼの緑が鮮やか。私の部屋の窓から見る夕日がとても好き。 秋:名鉄柏森駅に続く並木道の樹木の黄金色がロマンチック。 冬:ひっそりとした静けさに心が和む。わりと岐阜県の天候に近く、 犬山市からの息吹おろしの影響もあって雪が積もる。 C)大口町の歴史と地域特性 江戸時代に余野、小口、外坪、河北、大屋敷、秋田、豊田などの村落に分かれていたが、明治39年(1889)豊成村、小口村、太田村に合併した。明治39年(1906)この三村が合併して大口村となり昭和37年(1962)町制施行。現在に至る。 総豊村地帯であった大口村に昭和30年紡績会社が建設されて以来、積極 的な工業誘致により繊維、機械、金属などの工場が次々に誘致され工業活動が活発になった。 細長い木の葉のような形で五条川が貫流し、恵まれた自然環境と肥沃な田園地帯を形成。
借りている畑の風景
近所
五条川
地図
田園風景1
田園風景2
a)日本人と田園都市 明治40年以降、日本に田園都市という言葉が普及した。当時大阪での公害が問題となり、都市の環境は悪化する一方であった人々は都市の居住環 境が悪化しても職場近くの借家で生活せざるを得なかった。なぜなら、通勤の便や、生活用品の普及が整っていないことや、金銀的な問題から郊外での生活は容易ではなかった。しかし、郊外鉄道の普及により、都市への道が開かれ、郊外への生活が可能となった。 日本の郊外住宅形成は水を求めて展開された0太陽、緑、空間 + 水の理想的住宅地の実現の呼びかけがされた0もともと、日本の都市は美しい自然に囲まれた田園都市であり、郊外や地方都市にはそれが残されている。そして実現されたのは昔ながらの自然との共生、水と緑と太陽のなかでの生活であった。 日本のユートビア思想として、悪化しつつある都市環境を根本的改善を追求しようなどと考えず、身近で手のとどく理想住宅地を提供しようとした。このようにして、田園都市が展開されていった。 b)ハワードの社会改革 外国の田園都市の例として、イギリス、ロンドンが挙げられる。E・ハワードは都市の否定ではなく、「都市」と「農村」の融合を理想とした。その背景には、700万人以上の人々が農村を離れ都市に流入するといったことがあり、実際、郊外の住宅地に住めず都会のスラムで暮らさざるを得なかった貧しい人々に都会の多様な職場や娯楽とともに、田園に囲まれた快適な住宅を提供しようとする提案になった。 ハワードは3つの磁石を挙げ、「田園都市」の建設を行おうとした。「都会」か「農村」かの選択を迫られたときそのどちらも選択できるのではないかというのが、ハワードの考えであった。「都市」と「農村」を兼ねそろえた町では美しい自然のなかで活気に満ちた生活が送れるのだ。
*INAX ALBUM 郊外住宅の形成 大阪−一田園都市の夢と現実 /安田 孝 図書出版社 1992 *明日の田園都市 /E・ハワード著 鹿島出版社 長 素 連 訳 1968 *漱石の儒教、ハワードのロンドン /東 秀紀著 田園都市への誘い 中公新書 1991 参考施設
大口町健康文化センター ほほえみプラザ3F 歴史民族資料館