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人間と環境

〜自分の帰る場所 -田舎・故郷- 〜

吉住悦子

 

目次
  • 私が生まれ育った街 -三重県鈴鹿市-
  • おばあちゃんの家 -三重県北勢町-
  • 昔遊んだ場所 -田舎・故郷-
  • 自分の家 -帰る場所-
  • 最後に -このレポートを書いて感じたこと-
  • 参考文献

 

私が生まれ育った町     三重県鈴鹿市

 私は生まれてからずっと、三重県の鈴鹿市で暮らしている。自分が生まれた病院がどこにあるかも知っているし、近くには自分が通った小学較や中学校も建っている。今に比べれば、私が小学生のときは、田んぼも畑もたくさんあった。帰り道に友達とよく田んぼで遊んで帰ったことを今でも覚えている。
 けれどずっと暮らしていると、周りには大きな建物がいっばい建って、ほとんど田んぼはなくなってしまった。私は、ずっと一緒のところで暮らしているというのは幸せなようで、昔遊んだ場所がどんどん消えていくのを見るのは、すごく寂しいものだと思う。それでも私は、この鈴鹿市という町をとても気に入っている。

 

おばあちやんの家      三重県北勢町

 おばあちゃんの家といっても、今はもう亡くなっていて、いとこたちが住んでいる。私はおばあちやんのお墓参りに行くどころか、ここ何年か全然遊びにいってもいない。
 小学生の頃、お盆とお正月はあばあちゃんの家に行くというのが日課だった。たくさんの親戚が集まってすごく賑やかなお正月やお盆を過ごしていた。私には、本当にたくさんのいとこがいて、総勢で30人ぐらいになる。そんな日本全国にいるいとこたちに会えるのがお正月とお盆だった。
 三重県の北勢町は桑名市からもっと山奥に入ったところで、近鉄桑名駅から北勢線に乗り換え、終電の阿下喜で降りる。私のおばあちやんの家は、そこから車で20分ぐらいの山奥にある。昔はバスも通っていたけれど、今では乗る人が少ないので廃線となってしまった。

 後ろは山に囲まれ、今でも段々畑が残っているとても静かな町。そんな北勢町が私は好きだ。

 本当に静かな町で、お店と呼ぶものは近くに一軒雑貨屋さんがあるぐらいで、昔は歩いて、よくお菓子を買いに行っていた。一度駅からも歩いたことがあって小学生のころの私の足で山道を1時間ぐらい歩いたことを覚えている。猿の姿を見たこともある。そして、夏は近くの川でいとことよく遊んでいた。川魚をとったり、川に飛び込んで遊んだり、遊ぶ場所には困らなかった。

 けれど、中学3年生ぐらいから、ずっと私はおばあちやんの家に行っていない。私はたくさんいるいとこの中で最年少で、ほとんどのいとこが既に結婚して子供もいる。だから昔のようにみんなで集まるということもなくなって、私はずっと帰っていない。
 いつの間にかいとこ達にも全然会わなくなって、今でははっきり顔も覚えていない。当たり前のことかもしれないけれど、私にはすごく寂しく感じて仕方がない。

 

昔遊んだ場所   田舎・故郷

 「日本という国に生まれながら、日本という国をよく知らないと思うことがある。それは自分自身のことを、実はよく知らないことに似ている。自分が日本人であるということを、あたかも空気を吸うことのように当たり前にしか意識しないからだろうか。」
 私はこんな文章で始まる「japanese road」という本を見て、田舎・故郷という雰囲気が染み出ていると思った。この本は写真家の小林紀晴さんが写真と文章で日本全国を旅した記録を綴っている。小林さんを知ったのは、雑誌で「ASIAN JAPANESE」という本が紹介されているのを見て、その写真にすごく惹かれるものがあったからである。そして、本屋さんでこの「jpanese road]という本を見つけて、私はすぐに買うことにした。
 写真のほとんどはなにげない日本の街角の風景で、そんな中に自分自身の田舎・故郷で暮らしている人達の写真と文章が添えられている。そんな写真の人達はすごく自信に満ちた表情をしている。そして、写真からはなんらかの形で、自分が生まれ育った町が好き、という思いが伝わってくるような気がした。その写真の人達の中には一度故郷を離れた人が多い。そして、再び戻ってきた、そんな人がたくさんいた。

 みんな、生まれた町、育った町に誇りを持っている、そんな気がした。今、私たちの年齢の子はみんな、多かれ少なかれ、都会というものに憧れていると思う。私は、あんまり都会というものが好きではない。確かに今は、名古屋まで片道2時間もかけて通っている。けれどそれは、名古屋に住みたいと思わなかったからである。名古屋まで通おうとは思っても、住みたいとは思わなかった。流行に遅れていると言われればそれまでかもしれないけれど、私には、ずっと三重県という場所に住んでいたいと思う気持ちが強かったからだと思っている。

 「japanese road」という本の中で、下関に住んでいる人が写っていた。その人は下関のことを「自分が存在している感じ、今自分がいるなと思う。」と表現していた。私はその言葉を読んで確かに、自分が生まれ育った町や昔遊んだ場所というものは、どこかで自分の居場所がきちんとあったからだと思う。今、自分自身が住んでいる町にも確かに、自分の居場所があると思う。だからどんな人でも自然に自分の家に向かって足が進んでいるのではないかと思う。どれだけ自分の生まれ育った場所から離れたところで暮らしていても、心のどこか隅っこでも、その町の思いというものは誰でも持っていると思う。だから人間には「懐かしい」という感情があると思う。

 

自分の家   帰る場所

 私は、自分の家というものは、最後には自分自身の帰る場所になるのではないかと思う。どんなに遠くにいても、自分自身の家というものは心のどこかに存在していて、どんなに田舎は嫌いだと言っている若い人達でも、昔暮らしてきた場所というものは、思い入れが強いと思う。


 作家の沢木耕太郎さんが書いた「深夜特急」とい本を読んで、私はすごくたくさん
の人が自分の暮らした田舎や、今暮らしている場所に誇りを持っていると思いました。
現在暮らしている場所がどんなに田舎であろうと、なにもない町であろうと、そこで
暮らす人にとっては計り知れないほどたくさんの思い出があって、その思い出が本を
読んでいると、すごく感じとることができた。
 例えば国によっていろんな気候の違いがあって、家にも本当にたくさんの建て方、
住み方があって、日本とよく似た国もあれば、まったく違う囲もある。


 そんな「深夜特急」という本が映像になってテレビで放映されていた。俳優の大沢たかおさんが香港からイギリスのロンドンまで乗り合いバスで旅をして行くという物語で、原作とは年代がだいぶ違うけれど、その旅の思いは見ていて伝わってきた。
 私はその旅をまとめた本を買った。その中で俳優の大沢たかおさんは、
 「どんな国や術でも、夕方になると家々に明かりが灯って、子供たちが慌ただしく帰っていくんですね。それを見た時、むしょうに自分もその家に帰りたくなったんです。ただいまってね。それは、日本に帰ればどこにでもある光景ですが、僕にはとても輝いて見えました。自分が飛び出してきたところが、何も感じなかった世界が物凄く輝いているように見えました。家で待っていてくれている家族がいたり、僕の話を聞いてくれる友達がいたり、そういう“日常”のことが、ありがたくて、たまらなく
いとおしくなるんです。」


 私はこの言葉を読んで、帰る家があるということは、すごく幸せなことなんだと思いました。私にとって帰る家は今住んでいる家、けれど帰る場所はおばあちゃんの家がある三重県の北勢町、そんな気がしました。

 

最後に   このレポートを書いて感じたこと

 私は、日本という国の中で見れば、たぶん田舎で育った方だと思う。周りにはたくさんの田んぼがあって、毎日遊ぶ場所には困らなくて、小学生の頃は母親が呼びに来るまで、家の前の公園で遊んでいた。そんな家の目の前にある公園にも、いつのまにか子供達の遊ぶ姿が見られなくなって、すごく寂しいものがある。
 今と昔は違うんだ、と言われればそれまでなんだろうけど、私にはできることなら変わることなく昔のままの風景であってほしかった。いつの間にか、自分たちが遊んでいた場所には家や駐車場ができ、たくさんの店が並び、隙間なく何かが立ち並んで、あっというまに風景は変わってしまった。

 私は一つの旅が物語になっている本が好きで、実際にあったことなんだけれど、私のように全然旅をしたことがない人間には、読んでいるだけでたくさんのことを感じとれる、そんな気がした。自分の周りの環境というものは、生まれたときから何気なく存在していて、それに気が付くのは、その環境が明らかに変わったときだけで、そんなことがなければたぶん気にもせず通り過ぎて行くものだと思う。
 これから先、私は建築の仕事に何らかの形でずっと携わっていきたいと思っている。思えば、建築というものは、その環境を変えてしまうことで、けれど私は、その場所に帰ってくれば、安心できるそんな空間をつくることができたらと思う。

1999,2,16

 

参考文献

    「japanese road」
    シャパニーズ ロード
    著者  小林 紀晴
    発行所 集英社

     

    「深夜特急」1〜6
    著者  沢木 耕太郎
    発行所 新潮社

     

    「劇的紀行 深夜特急96-98 全記録」
    発行所 朝日出版社