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高山市

 

住田あい


目次

 

・飛騨国分寺

・高山陣屋

・感想

  


はじめに・・・・

 岐阜県高山市は、観光地として知られてきています。町並みは古く、たくさんの自然に囲まれていて、決して発展した都市とは言えないけれど、心を休めるばとしては最高のところです。そんな高山の観光名所ともなっている飛騨国分寺と高山陣屋を調べることにしました。


岐阜県高山市
(飛騨国分寺・高山陣屋)


飛騨国分寺

 高山盆地の中央にある国分寺には、室町時代に再建された本堂と江戸時代に再々建された三重塔がある。境内には、塔心礎石があり、創建時の七重塔のものだといわれている。寺域の内外から瓦類が出土している。また、樹齢約1200年と言われるイチョウの木がたっている。
 天平感宝元年には、飛騨国造高市麻呂が国分寺の造営に財物を寄進して官位の昇進を受けている。
 昭和27年から29年、本堂の修理のため解体調査がされ、創建時の物と思われる礎石群も発見され、本堂の再建時期も明らかになった。
 国分寺の瓦は赤保木にあり、昭和48年から49年に修理保存事業がされ、その時に新たに四基の瓦が確認され、軒丸瓦、平瓦、鬼瓦などが出土した。
 本堂は、室町時代の建築様式を誇れる単層入母屋造りで、内部には行基作と言われる本尊薬師如来像と、春日仏師作の聖観世音菩薩像がある。本堂と山門の間にある鐘楼門は、重層入母屋造りで下層は高山城から移した物である。


国分寺にまつわる物語

 昔、国分寺を建てるときに全部の指揮をとっていた、飛騨の匠に1人の娘がいた。父の仕事を見ていて姐は父に「あそこはこうしたほうが・・・・」と提案した。父は娘の提案を取り入れ作業を進めた。やがて完成した塔を見に殿様が現れた。殿様は、娘が提案をして父がなおしたところをとても気に入り、さすがだとほめた。父は、娘が提案をし造りなおしたということがバレては名に傷が付くと思い、娘を神への使いとしてイチョウの木の下に埋め口を封じた。以後、イチョウは大きく育ち、どこか女の人の体の形をしている。
 そして今では、乳イチョウと呼ばれて、乳のでない母親に樹皮を削りあたえると乳がよくでると言われている。
 また、大イチョウのはが落ちればその年は雪がたくさん降るとも言われている。


高山陣屋


構成


陣屋にまつわる物語

 昔、奥方が飼っていた猫が、郡代の娘によくなついていた。ある日、娘が庭を散歩していると猫が急に着物の袖をくわえて引っ張り、足で蹴っても離れようとしないため娘はこわくなり悲鳴をあげて助けを求めた。郡代は急いでかけつけ猫の首を切り落とした。だけど、首は地面に落ちずに空中に飛び上がり、松の枝の上でずっと娘をねらっていた大蛇の首にかみついた。大蛇は死に松の枝の上から落ちてきた。そして、猫の首は両目を閉じて地面に落ちた。猫は、娘を襲ったのではなく、娘を大蛇から守るために必死に袖をひっぱっていたのだった。
 以後、代々の郡代は猫を邸内の氏神とし、年貢米の御倉の守護神として崇敬した。


感想

 岐阜県高山市は私が生まれて育った場所です。だけど、あまり建物を気にして歩くこともないし、観光客の方々が行くような観光名所には行ったことがなかったように思います。そんな点では、きっと観光で訪れたことのある方のほうが私より、岐阜県高山市という場所を知っているのではないかと思います。だけど、今回観光名所としても知られている飛騨国分寺と高山陣屋を調べて、自分の住んでいた場所の何か大きなことが学べた気がします。
 1つの建物にはたくさんの人達が関わっていて、建っていた時間とともにたくさんの歴史があります。特に、高山市の建物は古くから建っている物が多いので、歴史を調べるだけでも大変なことだと思います。けれど、そんな古い建物を見ていると昔はどんな生活をしてたのだろうといろいろ考えてしまいます。昔は、今みたいには便利な物がなかったから不便だったかもしれないし、安全といえるような生活はできなかったかもしれないけど、きっと今より緑があふれていて、季節を目で感じることができたのではないかと思います。高山市にはそんな過去と未来が一緒にあるような場所であってほしいと思いました。