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LOVELY 稲沢 

 

渡辺亜紀


目次

 

はじめに

地名

尾張大国霊神社(国府宮神社)

国府宮の裸祭り

文化・伝統・産業

文化財・史蹟

感想


<はじめに>

 私の住むまち稲沢市は、名古屋までJRで10分ほどですが、都会という重苦しさとはほど遠く緑いっぱいでとても住みよい町だと思っています。しかし、19年間住んでいて稲沢市とはどんなまち? 稲沢市にはどんなものがあるの? と聞かれても、う〜ん何があっただろうと考えてしまいます。でもきっと、この稲沢市にもいろんな伝統や、文化、お祭りなど、私の知らないことがまだまだたくさんあると思います。この課題を通じて新い稲沢を発見しもっともっとこの町を好になれたらいいなあと思っています。



尾張大国霊神社(国府宮神社)宮司 竹内正憲

社  格    一等級社 旧国弊小社

鏡座地     稲沢市国府宮一丁目一番一号

旧地名     中島郡稲沢町大字国府宮宇大宮二八三番地

祭  神    主神 尾張大国霊神

例  祭    五月六日

その他の神事  難追神事(旧正月一三日)通称はだか祭

        梅酒盛神事(5月 6日)通称馬まつり

神 紋     竹の丸に五七の桐

主要建物    本殿流造     九.五○坪

        渡殿       五.一○坪

        祭文殿      四.七坪

        拝殿      二四.九六坪

        桜門      一○.八三坪

        社務所    五六七.二三坪

        祈寿殿    三○二.五○坪

        難追殿     六六.六一坪

境内地     八三四○.九六坪

摂末社     別宮 大御霊神社・宗形神社

        末社 司宮神社・稲荷神社・居森神社・

           白山手中社・神明神社・三女神杜

氏子数     二九三九八戸

由 諸     当社の創示は、この地方に尾張人が住み始めた頃で盤墳に始まる。盤墳は、    今日のように社殿を建てて祭をする以前の、最も古い原始的な祭場で、現在、本殿に接して厳存しており、尾張大国霊神は、太古すでに日常生活の守護神としてまつられていたことを語っている。別宮の大御霊神社(大御霊神)と宗形神社(田心姫命)と御本社を合わせて、古来国府宮3社と称し、文徳実録のよれば、仁寿三年六月各各官社に列せられている。

 この地に尾張国衛が置かれたことから総社とされ、国府宮と称された。


国府宮の裸祭り(難追神事)

 旧暦一月一三日稲沢市田府宮(尾張大国霊神社)で行われる裸祭りは、天下の奇祭として名高い。起瀬は奈良時代に遡るという。裸祭りが終わるとやがて春が来ると、この辺りでは心待ちにしている祭りである。

 祭りは旧暦一月二日に神男を決定するところから始まる。十一日には宮司が捲いた餅に前年の夜難追神事のつぶてを焼いた神灰を混ぜた土餅(難追餅)を作る。翌日は、当番の町村か五○俵どりの大鏡餅が奉納され、夜には尾張の一宮(真清田神社)二宮(大県神社)三宮(熱田神宮)を勧請して国家安穏、五穀豊じょうを祈願する。

 一三日は、朝から厄除け祈願の「難追布」を首に巻いた参詣者で引きも切らない。午後には、二十五歳と四十二歳の厄年の裸男たちが難追笹を持って境内に詰めかけてくる。午後三時ごろ、神前で御鉄しょう(大榊に神府、節刀、大鳴鈴を下げたもの)を拝した神男たちが、数千人に土る裸男の群れの申に飛び込むと、神男に触れて厄をおとそうとする裸男たちが神男に殺到する。ひしめき合う裸男の群れに水を掛けられるが、そのまま湯煙となるほど熱気が立ち込めて、祭りはクライマックスとなる。やがて神男が難追殿に飛び込むと裸祭り(昼難追)は終わる。

 何万とも知れぬ大群集は潮の引くように消えて、祭りの興奮も静まった十四日午前三時。実はこの祭りの最も重要な難追神事が、庁舎(祭りの仮屋)でひっそりと始まる。白衣を看た神男も加わり、天下太平、五穀豊じょうが祈願された後、神男に人形と火を灯した紙濁を付けた土餅を背負わせ、まず庁舎を三周させる。その後、神宮や参列者が桃と柳の枝の「つぶて」を投げつけて神男を外へ追い立てる。神男は途中背負った土餅,つまり難追餅を捨てて帰宅する。難追餅は神官にその場へ埋められ、落ちているつぶては焼かれ、翌年の難追餅に抱き込まれる。そして祭りは終わる。

 この祭りは、実は難追餅が主役であって、決して神男ではない。神男は厄男から難追餅へと厄災やけがれを受け潰し、厄を背負った難追餅を捨て去ることで厄落としをする役割を担うもので、決して俗説にいう人身御供ではない。江戸時代、その年の恵方に当たる村へ、神男を捕らえに走ったことがあり、裸祭りの激しい揉み合いで怪我も多かったことによる誤解が生んだ俗説であろう。


[文化]

荻須美術館

昭和58年8月2日、稲沢市出身の故荻須高徳画伯の功績を記念して建てられた美術館。館内には荻須画伯の作品を常時展示するとともに、文化創造の殿堂として、市民はもちろん広くみなさんに親しまれている。たんに美術館としてだけでなく、新しい文化の発信源となるよう、つねに創造的な活動に取り組んでいる。

 

[伝統]

市の木

常緯の高木、わが国の特産で、独特の風格と年中変わらぬ美しさから最高の庭園木として利用されている。また古来から長寿や節操を象徴するものとして縁起のよい木としても知られてきた。稲沢市の庭木作りの松は、生産技術的に最高水準と称され、最も生産量が多い。市の木は、緑のまち一稲沢にふさわしい樹木として、市民のみなさんからの投票のよって選ばれた。

 

市の花(ペニサザンカ)

晩秋から厳寒にかけての最も花の乏しい時期に美しく咲かせる生活力の強い花木である。和・洋いずれの庭にもよく調和し、当市の生産も最も多い花木の一種である。

 

[産業]

植木産業

約660年の歴史を持つ植木・苗木産業。今では「緑の供給地」として全国有数の園芸地帯に発展。平成2年の栽培総面積は約360ha、栽培農家は約1300戸。埼玉県川口市、大阪府池田市、福岡県久留米市とともに全国四大産地のひとつに数えられている。

 

農業

恵まれた自然環境にある稲沢市では、稲作を中心に野菜、花木、畜産など、バラエティ豊かな生産活動を行っています。また農産品のブランド化などの多角経営のお手伝いも手がけながら、大都市圏を中心に、生鮮食料品の供給基地の役割を担っています。

 

工業

時代に先駆けるハイテクノロジーを中心に、ますますの需要増大に応える各種工業。稲沢市では工業団地の開発・整備に努めるとともに、多種多様な企業の経営安定にも積極的に頁献。市内の工場数は平成元年12月現在で、774。製品出荷額は約4994億円にのぼっている。


[文化財・史蹟]

万徳寺・多宝塔   重要文化財

下層は方3間で四方に縁を廻し、東面中央間にのみ桟唐戸を藁座にとりつけている。他はすべて横坂羽目で、天じく様の木鼻をつけ、組物は和様出三斗軒支輪がある。上層は亀腹の上に平三斗と木鼻をおいて勾欄を受け、12本の円柱をたて、組み物は和様四手先である.木割は繊細であるが、装飾が少なく簡素な建築である。

 

万徳寺・鎮守堂   重要文化財

一間社流造の小さな神社建築であるが、八幡社なので正面3間側面2間にみせている。柱は総円柱で床下のみ8角、向拝の柱は角柱で面比率8分の1の大面取である。中央部に形式的な柱を入れて内陣と外陣に分け、外陣を開放している。棟札によると享禄3年(1530)の建立で、小規模であるが建立年代が明らかな室町末期の神社建築として貴重である。

 

万徳寺・秘抄   愛知県指定文化財

弘長3年(1263)醍醐寺三法院で俊英が書写し、頼愉が奥書を朱で加えたもので、33巻あったが29巻残っている。縦16cmはどのこうぞ紙に上下のみ界線を施し、軸装の上に雲母紙の表紙が付けられている。

 

安楽寺・木造十一面観音立像   重要文化財

安楽寺の本専で、本堂正面の宮殿風尉子内に安置される秘仏である。像高98cmの一木造で、仏頭・十一面化物右手首より先・右肩より先・持物と両手から垂下する天衣は後補、光景も新しいが台座の大部分は当初のものらしい。

 

安楽寺・木造兜踏昆砂門天立像 愛知県指定文化財

本尊尉子に向かって左側に安置される。総高103cm、本体を捧げる地天を除くと86cmで、中心部は一木造、両肩から先は別木を捌付けている。持物のほこは後補、左手首と右柚のくくりは昭和42年に補作された。


<感想>

自分の住むまち稲沢を調べて思ったことは、今までなにげに目の前を通りすぎていた仏像やお寺などが実は重要文化になっていたり、ただ騒いでいたお祭りでしたが、そのお祭りには深い意味があったりと今までまっ たく知らなかった新たなる稲沢を発見することができたと思います。また、こういった重要文化財を大事に大事に守ってくれている人がいるので、いつまでも大切に保存することができたのだと思いました。

 せっかく新しく稲沢を知ることができたので、今度は自分の目でいろいろ探しに行き、また、みんなにもこの町の良さを知ってもらいたいです。