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まなびやのとき

豊田市立高橋中学校史

 

黒木正博


目次

 

はじめに

地名について

建物について

おわりに


はじめに

 身近な地域を調べるにあたり、一体どういったものを調べようか考えたあげく、自分自信に身近であり、それでいて関心かある事について調査してみた。その地域に歴史的なものが無い訳ではなく多くの古い建物があり調べようと思えばもっと歴史的なものを調べることが出来たと思う。そこをあえて母校の中学校を調べることにしたのには、やはり最も身近で歴史があるからである。

 今回中学校という身近な存在でありながら建築的に見ることは、初めてであるため間違ったとらえ方をしてしまっている部分が出てきてしまうかもしれないが、知識を高める上には十分実りのある調査になるのではないだろうか。


地名について

 現在の豊田市は大きさ・名前共に変化があった。下記は市町村合併の系譜である。

 


豊田市の由来

 トヨタ自動車の基となるトヨタ自動織機製作所の建設を挙母町にした事から始まる。このトヨタ自動車のお陰にて工業化が進展して行き、自動車工業の町として事後もいっそう拡大されることを予測したとき、トヨタ自動車あっての挙母という企業都市の性格が明らかになってきた挙母市は、更にトヨタ自動車の発展を援助し、市全体の充実を目指すことを日標にして市名がトヨタ自動車にちなんで豊田市と変更された。時に昭和34年1用1日であった。


建物について

 調査物件:豊日市立高橋中学校

 所在地 :豊増市高橋町4丁目70番地

 期間 :昭和22年4月18日〜現在

 写真は開校当時の写真である屋根は寄棟屋根、その後ろにも校舎が存在しており、そちらの屋根は切妻屋根で構成されている。そのことよりメインとなる校舎は顔ということもあり簡単な切妻屋根にしていないのであろう。

 材料としては木を中瓜として使用されており、土壁は使用されていなかったように思われる。(校舎取り壊し写真)

 こういった長屋で内部に教室となる広いスペースを持った建物は構造的に耐えるように柱自体の太さを太くしていたのではないかと予想される。それも校舎自体開口部が多い建物である為その柱は内部にて使用されていたのではないだろうか。校舎取り壊し写真を見ると校舎の表面となる部分には構造的に支える柱が無い様に思われるである。

 

 

 現在の校舎は鉄筋コンクリート造である。木造では難しかった高層の建物が容易に造ることが出来るようになり築30年以上がとうに過ぎている。それにも関わらす今現在においても健在でありその校舎に増築しているほどである。


 体育館(校舎全景写真左端)はこの写真を見る限りでは木造であり、側面にはコンクリートか士璧の補強がなさねている.これは校舎と違い内部の空間が広<高いスペースを求められている場所であるため側面にて補強するしか手が無かったのではないだろうか。

 

 

 

 

 後の体育館は写真で見ても判るように鉄筋コンクリート造である.やはりこういった広<て高いスペースを造るには鉄筋によるラーメン構造が適していると思われる.それを考えると昔に内部に柱の無い広い空間を造ることは容易でなかったことが伺えるのではないだろうか.


おわりに

 こうしてたった−つの小さな歴史ではあったが、身近なものであったため自分が在籍していた頃を思い返し考え調べることが出来たのではないだろうか。この歴史の中には今と比べると違いが多<あるが、その建物が存在していたときがそのときの今であった様に、現在の今もあるわけであり、そのときは新しいものなのである。そしてその時代にあった建物が造られるのである。いくら古いものを見て古いと感じてもそれで終わっては新しいことが見えてこないのではないかと思う。その時自分かどう思いどう考えるかを繰り返し行なうことにより、新しさと現在求められている事か判って<るのではないだろうか。