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常滑市

 -私の住んでいる所-

鈴木幹久


目次  

◆はじめに・・・・    

◆常滑市・・地名の由来  

◆常滑焼きが使われた建築 

◆おわりに・・・・(感想)


◆はじめに・・・・

 私は、愛知県常滑市に住んでいます。

 常滑市と言うと、常滑焼きと競艇が有名です。

 しかし、私は常滑に住んでいながら、あまり常滑焼きについて意識したことがありません。

 私の常滑嫉きのイメージは、赤茶色の土管と赤茶色の急須ということぐらいです。

 ですから今回、常滑焼きについて調べてみたいと思いました。


◆常滑市・・知名の由来

 知多半島中央部、伊勢湾岸に位置する。

 ”常滑” と書いて ”とこなめ” と読む。

 現在では ”とこなめ焼き” の名称とともに定着した”とこなめ”ですが、この地名を”とこなべ” と読むか”とこなめ”と呼ぶのが正しいのか、紛糾した時代もありました。この地名のルーツをさかのぼれば万葉の時代、

 

   隠りくの とよはつ瀬じは 常滑の

       かしこき道ぞ 恋らくはゆめ

 

   見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の

       絶ゆることなく 復かえりみぬ     柿本人麻呂

 

 常滑という語を詠んだ歌が二首、万葉集に残されています。この二首とも”とこなめ”と詠んでいます。

 また地名の由来は、その土壌にあるのではないかと言われています。というのも”常”は”床”、”滑” は滑らかという意味で、床とはつまり地盤のこと、古くからこの地は岩土盤の露出が多く、その性質は滑らかなため、この岩土盤全体をも”とこなめ” と呼び、そうした習俗が地名として定着していったと考えられます。


◆常滑焼きが使われた建築

 今日、常滑焼製品のなかで生産額の第一位を占めているのはタイルである。

 常滑焼の歴史を顧みるとき欠くことのできないタイルは、大正年間から昭和十年代にわたって、多くの洋風建築を飾った湿式無軸タイルおよびテラコックである。

 かの著名な建築家F・L・ライトによって設計された旧帝国ホテルは、惜しまれつつ昭和四十三年(1968)に解体され、玄関を含む一部分が愛知県犬山市にある博物館「明治村」に移転復元されている。この帝国ホテルの外壁を飾った”スグレ煉瓦”(スクラッチタイルの創始といわれている)と特種形煉瓦が、常滑でつくられたことを知る人は少ない。

 明治三十年代の後半に、西滴町阿野(環:常滑市西阿野)で陶器生産を営んでいた久田吉之助(1876〜1918)は、武田伍一の指導を受けてテラコッタやタイルなどの洋風建築陶器の製造を手がけていた。彼が製造したテラコッタは、明治四十二年(1909)に竣工した京都市岡崎図書館(現:京都府立図書館)を飾っている。しかし、この常滑焼建築陶器として初めて世におくりだされるという名誉を負った久田のテラコッタは武田に言わせると、「極めて不完全なテラコッタであった」と言う、芳しくない評価を得ていた。

 この経韓を知らずに、帝国ホテルは外壁のタイルの製造を久田に依頼した。しかし、ライトの望む形状や色調を備えたタイルを製造することは難しく、代わりに製材技師として常滑美術研究所で教師を勤めていた寺内信一が招かれ、製造も伊奈長太郎の手に委ねられ伊奈製陶所が工場になり、帝国ホテルは大正十一年(1922)に竣工した。

 帝国ホテルは、その耐震構造設計や確実な施工があって、竣工翌年の未曽有の関東大震災でもその被害は軽微なものにとどまった。常滑のタイルもこれ以降、不燃牲の外・内装陶器として、またテラコッタは装飾陶器として需要を増し、市場占有率でも不動の地位を確保した。

 湿式無軸タイルで当時生産されていたものは、表面の処理の違いによって、タペストリー、スクラッチおよび粗面タイルに分けられているが、いずれも湿って軟らかい陶土を土管機と同様の機械で抜いて成形されたものである。

 タペストリータイルは、黒褐色の素地に黄褐色の斑点が浮かぶように陶土があらかじめ混ぜあわされたもので、表面が”つづれ撮り”模様を示していることから、この名がある。このタペストリータイルの生産期間は大正十三年〜昭和五年(1924〜1930)と短く、これを用いた建物も少ない。東京日本橋の野村証券ビル(昭和五年竣工)が唯一の現存例である。

 スクラッチタイルは、陶土を機械で抜く際に表面に条痕を施したものであり、湿式無軸タイルでは最も生産量が多い。スクラッチタイルが生産されたのは、大正十三年〜昭和十一年(1924〜1936)であり、このタイルが用いられた建築物としては、首相官邸(昭和三年竣工)、文部省庁舎(昭和七年)などが現存している。

 粗面タイルは、文字通りタイルの表面に加飾を施さないもので、昭和二年〜十一年(1927〜1936)の間生産されている。この粗面タイルを用いている現存する建築物としては、名古屋市鶴舞公園内にそびえたつ名古屋市公会堂(昭和五年竣工)が代表的である。

 テラコッタは、わが国では彫刻や模様を施した装飾陶器や大型タイルのことを指している。常滑産のテラコッタは洋風建築を彩るものとして大正末年に本格的に登場している。テラコッタは、彫刻の技術を生かして制作した原形をもとにして成形されるもので、原料陶土は知多半島南部の陶土に木節粘土を混合したものである。テラコッタの生産期間は、大正十三年〜昭和十三年(1924〜1938)であり、当時のテラコッタのうち装肺牲の強いものは南海ビル(現:大阪高島屋ビル、昭和七年竣工)、静岡市役所庁舎(昭和九年竣工)に遺されている。また大型のタイルとしてのテラコッタは、名古屋市役所本庁舎(昭和八年竣工)などにある。


◆おわりに・・・・(感想)

 現在の常滑焼きは、タイル、衝生陶器、陶管、食卓用・厨房用陶器、植木鉢および置物・玩具が大半を占めている。

 ですから今回、常滑嫉きの歴史を調べてみて、建築用のタイルを造っていて、それらが色々な建築に使われている事に、驚きました。

 また、歴史も古く、平安末〜室町期に窯業がさかんになり、それより続いている事にも驚かされました。