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多度大社

 

羽木とき子

 


目次
  • 動機  


  • 地名  


  • 多度大社


  • 終わりに


地名

 ≪  所在地  ≫

三重県桑名郡多度町多度1681


動機

 私の地元三重県にある多度大社に注目を置いてみた。
 この多度大社は、昔から上げ馬祭りで有名な神社である。私が高校生のときに一度見たことがあるが、とても印象的なものだった。
 神社は古そうなものだったし、大社というだけあって、お社がいくつもあった。
 私が慣れ親しんだ神社という訳ではないが、刺激的で、印象に残ったモノとして、この多度大社を調べてみようと思った。
 


多度大社

≪  御祭神  ≫

  本 宮  多度神社    天津彦根命(天照大御神の御子神)

  別 宮  一目達神社   天目一簡命(天津彦根命の御子神)

  例祭日  五月四日(前日祭)五日(本祭)

  歴史は古く、太古は標高403メートルの多度山全体を神体山として仰いでいたが、5世紀の後半、雄略天皇の御代になって御社殿が初めて現在の所に建てられた。奈良時代末期には満願禅師が多度神の託宣を受け、天平宝字7年(763)に我国で3番目に古い神宮寺が設立され、後に国分寺に準ずる扱いを受け、寺院70房・僧侶300余輩を数える大寺院となった。
 『延喜式』巻九神名帳に桑名郡15座のうち「多度神社名神大」とみえ、いわゆる延喜式内名神大社であり、後一条天皇の御代には東海道6社のうちの1杜にも数えられた。また、南北朝時代の暦応年間には多度祭りの上げ馬・流鏑馬の神事も始まったと伝えられ、御神徳はいよいよ広大無辺となり、皇室からも度々幣帛が献られている。
 本宮『多度神社』の御祭神「天津彦根命」は、天照大御神と須佐之男命との御誓約による5男3女の御子神の第3王子。御祭神の関係から「北伊勢大神宮」と称され、「お伊勢まいらばお多度もかけよ、お多度かけねば片まいり」とも謡われていて、庶民の伊勢参宮の折には多度神社へも必ず参拝したことがうかがわれる。『新撰姓氏録』に「桑名首、天津彦根の男、天久之比乃命の後なり」とあるように、北伊勢地方を支配した豪族が氏神としてお祀りした神様で、産業開発、商工業繁栄の神と仰がれている。
 別宮『一目連神社』の御祭神「天日一箇命」は『古語拾遺』により伊勢忌部氏の祖神であることが知られ、天照大御神が天の岩戸にお隠れになった際に刀、斧を作り活躍された神様で、日本金属工業(製鉄・金作り)の守護神。さらに両宮親子の神々力を協せて雨や風を支配され、生きとし生けるものの命の源となる農業・水産を守護し、諸難を滅ぼし、諸願を成就される神。又、一目連神社の神殿が御扉を設けない珍しい造りになっているのは多度神社の故実の上で見逃せない一例だと言う。


≪  社殿  ≫

  本殿   神明造  檜皮葺  間口3間  奥行1.5間

  神楽殿            間口6間  奥行5聞

  手水舎            間口2間  奥行1.1間

  社務所            間口10間 奥行6間

                                                                                                                     etc

≪  宝物殿  ≫


終わりに

 多度神社に資料集めとしてお参りも兼ねていってきた。宝物殿のなかに多度神社の配置図があったけど、撮影厳禁のため写真にできなかった。すごくいいと思ったのに、だから残念だった。役場にも行きたかったが、休みだったため図書館どまりだった。でも、いろいろ調べていて楽しかった。建物の造りはよく分からなかったけど、そこの歴史を感じることができたと思う。
 お多度さんには「白馬伝説」って言うのがあることも分かった。そこから、多度祭りの上げ馬が来ているのだと納得させられた。あと、重要文化財がこんな身近な所にあったのが驚きだった。合宿で、白川郷とか見てこんなふうなところにしか重要文化財がないと思い込んでしまったのかもしれないが、身近にそんなのがあるのが嬉しかった。